占星術および今のネット社会について思うこと。
占星術に年齢域がありますが。(年齢によって司る惑星があてはめられる。)
ネット社会の加速で、経験できることが増え。それに伴い悟ることも増える。
これによって、海王星が司るもの、概要の理解および、自分の人生への適合を、ある程度の人間が占星術を学んだり、その知見がある者がそれに近いことを教えたりすることで、網羅してしまい、すっ飛ばすことができるのではと思います。つまり飛び級。
水星期⇒金星期⇒太陽期⇒火星期⇒土星期⇒天王星期⇒海王星期⇒冥王星期
↑間違っていたらすみません。直します。
そこを悟ってしまうと、もう元には戻れません。
子供が遊びを行うように、大人が遊びを行うと、どこかのタイミングで現実(社会における自分の役割を思い出したり)に引き戻されたりすると思うのですが。
進行している現地点に引き戻される現象が起こるのです。
そして、冥王星に近づけば近づくほどしんどいです。おそらく!
蠍座に冥王星を持つ人は、”希死念慮とかと戦う”などテーマが年齢を重ねるにつれ、迫ってきますし、20代でも30代でもやらなければならなくなる時が来ます。
重いイベントを先に経験することで、誰かの死を止めたり、生への方向へもっていったりすることができる。前倒しでテーマの予習が来たりするのです。
悟りを開いたブッダに聞いた方が良いのか、地球の年齢期というか、90年代のネット社会の普及楽しかったな~感、その後のスピリチュアルブーム及び、毒親論の普及、家系や前世のカルマや過去の社会の負の遺産の処理に関してなど。地球が、天王星期⇒海王星期に差し掛かっているように思います、次はいよいよ冥王星期になるのかなと。
生死を超える、つまり悟りを開く、解脱のムーブメントが起こるのでは。
でもまあ、海王星が本場所を司っている今、何を悟ればいいのかです。
海王星というと私にはイエス・キリストを彷彿とさせます。隣人愛?清貧?終末について?
しかし、太陽から遠ざかれば遠ざかるほどパワーが湧いてこなくなる。
そんな感じがします。
動物の本能(太陽?)と悟りのパワーは相対するように思います。
”休みの日に、羽を伸ばす”的に動物や植物と関わったり、同じ人間と交流したりそんなことも大事なのかな。難しや。